家づくり③

それでは、少し前の家を考えて見ましょう。

昔と言ってもせいぜい100年前ぐらい前の家づくりです。

まず家づくりの前提となっているのは「3代持つ家」という考え方です。

自分だけが住めれば良いという訳ではなく、子供の代、孫の代まで住めるような家づくりを考えるのが普通でした。

言い換えると誰もが自分の代で家を壊す事は思ってもいませんでした。

そんな無駄な考えで家を建てなかったのです。

20年住めればよい家と、3世代もつ家とでは、家を建てる時の考えが大きく違います。

まずは、長持ちしなくてはいけない、すぐボロボロになって、生活に支障がきたすような家では論外です。

しかし生活の変化に対応できない家ではいけません。

というのは、自分の代と子供の代、孫の代とは暮らし方が違うわけです。

その事に対応するために間取りの融通が利くつくりになっているのが昔の家づくりでした。

3代もつ家をつくるには長い年月が掛かりました。

今のように車やトラックがあるわけではないので、一般的には地元の工務店(棟梁)に相談しました。

地元の棟梁は家を建てる人の事はよく知っています。

なぜなら、昔は、今のように家が密集していたわけではありませんが、今よりも近所・町内付き合いが密でありました。

同じ町で暮らしている棟梁はその家族のことを昔からよく知り、家にまつわる相談事を一手に引き受ける事ができる訳です。

当然といえば当然です。

ですからどんな家にすべきか、ということについて適格な答えを出しアドバイスすることができたのです。

家を頼む人と作る人の関係がとても近いのが昔の家づくりの特徴かといえます。

地元の棟梁に仕事を依頼すると、まず棟梁は材料の準備をします。

近くの山にある木材や粘土など、自然素材が中心です。

昔の家は、木と土でできていましたので、近くの山から調達しましたわけです。

木を選び、木を伐採します。

そして木をじっくりと乾かします。

木材は切ってすぐに使用出来ないからです。

木の中にある水分が多ければ、年数がたって乾くと曲がりや変形が大きく生じるからです。

現在は人工乾燥機などを使って水分を取り除きます。

その取り除き方も色々あるので後ほど説明したいと思います。

また、左官の材料(土壁に使用する材料)も、山や川から採取しました。

この時代、こうした材料の準備だけで、だいたい3年くらいかかるのが普通でした。

昔の家といえば太い大黒柱や曲がりくねった大きな梁などのイメージがあると思いますが、

それは決していい材料を使用したわけではないからです。

木の種類で言えばケヤキ、クリなどの広葉樹が多用されていますが、これは雑木と総称されています。

今では、高級な材料とされていますが、昔は低級木でした。

製材に向いた杉やヒノキは普通の家には使えませんでした。

ですから、今の家のように設計に基づいて材料の種類や大きさを決めていくのではなく、

材料にあわせて家を考える必要があるのです。

こうした材料の組み合わせを「算段」といい、この算段の善し悪しが棟梁の腕でもあったわけです。

このように棟梁は家づくりの中心で材料の算段から家の設計、実際の工事までを取り仕切っていました。

この時代の設計といってもライフスタイルの可変に対応できるようになっていましたのですごく単純な間取りでした。

代表的なのが「田の字プラン」と言われるものです。

これは太い柱を2間ごとに配置し大きな梁を掛け渡していくものです。

間取りとしては片側を土間として反対側に居間、ふた間続きの座敷、寝室の四室を他の字のように配置しました。

戸襖などを外すだけで1つの部屋になるので生活に合わせた変更が簡単にできるようになっています。

また、この「田の字」の骨組みにつないでいく形で増築も容易でした。

このように、可変する家でなければ3世代使用することはできません。

いわゆる、家は建てたら終わりではないのです。

子供の成長に合わせ、また、孫の成長に合わせ、家も変化しなくていけないです。

現在の家は細かく間仕切りがしてあり、改築するにも大変なことです。

そのためか、現在の家は平均20年で建替えのサイクルになっています。

その中でも15年で建替えている家が多いのが現実となっています。

これをスクラップビルドと呼ばれています。