家づくり⑦

1945年、日本は連合軍に降伏し太平洋戦争が終結しました。

国土の多くは焦土と化し、住むところを失った人たちで溢れていました。

とにかく、すぐに雨露をしのげるところが必要でした。

この切迫した需要を背景に、ありあわせの材料でたくさんの家が建てられました。

これらの家は、昔の家を極端に簡素化したもので、細い材料を組み合わせたのです。

やがて、復興が進む中、経済発展のために持ち家が奨励されるようになり、1950年住宅金融公庫が設けられました。

そして、公庫の基準としての家の造りが決められたのです。

ここから、家は大量生産の時代に入ってきたわけです。

家を大量生産するには昔の家づくりでは不可能です。

先に申しました通り、昔の家は材料から調達をして実際に工事に入るには3年はかかりました。

それを回避する為に、材料と工法が一新されました。

まずは細い材料を前提とした骨組みがセオリーとなりました。

細い骨組みでも、成り立たせる仕組みを考えたのです。

工事に高度な技能を要しては早く作れません。

継ぎ手や仕口が簡略され、金物が積極的に使われるようになりました。

次に左官壁に代表される湿式構法(現場で水を使う構法)が徐々に追放されました。

材料づくりや乾燥などに時間がかかることが嫌われたのです。

代わりに石膏ボードや合板などの面材で天井や壁を仕上げる乾式構法(水を使わない構法)が主流となりました。

その結果、左官工事は壁全体を作る仕事から表面を仕上げる仕事に変わってしまいました。

こうして今の家の基本ができました。

このような、大量生産の家は、ハウスメーカーという業種をつくることになりました。

ハウスメーカーは商品化した家を目指し、

全国どこでも一律の性能、一律の価格を目指したのです。

つまりハウスメーカーは家づくりを工業製品にするつもりでした。

確かにハウスメーカーのカタログを見ると、自動車のカタログとよく似ています。

デザインごとに商品名が決められそれぞれの商品スペックが書いてあります。

営業の人に聞けば、それぞれの値段もすぐに教えてくれるでしょう。

カタログから「これ」と選べば、すぐに同じ物が手に入るように見えます。

しかし、実際の家は工業製品になりません。

いくらカタログ上で既製品のように見せていたとしても、家を建てるときには1棟1棟個別に打合せをし、

設計をし、それぞれの現場で大工さんをはじめとする各職人さんが手で作っています。

材料や作り方は変わっても、現場組み立ての1品生産という性格はまったく変わっていないのです。

しかし今の家は工業製品風です。

そしてこのことが大きな問題なのです。

家が完全に工業製品になったのであれば、それはそれで良い面もあり、

作業環境のよい工場で大量に作るため、品質は安定し、何よりも価格が安くなるはずです。

しかし、今の家はそうなっていません。

同じハウスメーカーの同じ商品でも現場ごとに家の形は違うし、大工さんやほかの職人さんだって違います。

ですから品質はまちまちなのにも関わらず、値段は高くなってしまっているのです。

工業製品のメリットが一つもできていないのに、材料の一部だけが効率性重視の方向に進んでいるのが今の家です。

言い換えると建物に工業製品風のラッピングをして、

工業製品がもつ近代的で豊かなイメージを持ったものが、今の多くの住宅なのです。